4月8日放送の「徹子の部屋」に出演した松本若菜さん=テレビ朝日提供
俳優の松本若菜さんが、4月8放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に初出演。鳥取県出身の41歳。15年以上の下積みを経てブレークした松本さんが両親のことなどを語った。
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15歳の時に地元・米子市のショッピングモールで俳優の奈美悦子さんから直接スカウトされ、7年後に上京。初オーディションに合格し、2007年にデビューしたものの、自称“暗黒期”に突入した。アルバイトで生計を立てながら、俳優業を細々と15年以上続けてブレークした。
父はとても厳しかった。「ちょっとでも歯向かったらすぐ箸(はし)がぴゅんと飛んでくるような」。門限があり、学生の時は夜の7時、20歳までは夜の10時、成人以降は夜の12時だったが、「時間を守っても怒られるんです」と振り返った。
本気で芸能界を目指した時、両親の了解をどう取り付けるかと考え、東京でアパートを見つけて鳥取に帰り、「土下座をしました。(両親は)ダメだの一点張りでした」と明かした。最終的に母が「たった1回の人生だし、やりたいように一度は苦労してみてもいいんじゃない」と言ってくれた。
上京する日には、バスの停留所まで贈ってくれた父から「やめるなら今だぞ」と言われたが、「絶対に何が何でもやってやるという思いだったので『行く』と伝えました」と回顧。下積みをしていた38〜39歳のころまで、電話をするたびに父は「いつ帰ってくるんだ」と言っていたという。
32~33歳のころ、やめようと思ったことが一度あった。自分の成長や居場所に疑問を抱き、次の仕事を済ませたら鳥取に帰ろうと母に電話をかけて伝えたところ、母は「分かった」とひと言だけだった。
「その時の私にはすごくありがたくて。全てを肯定してくれた気がして。その言葉もあったおかげで、やっぱり私はこの世界に居続けたいと思えて。気持ちも入れ替えて、やろうと思っていたら、ヨコハマ映画祭で助演女優賞をいただきまして、びっくりしました。改めて、私はここにいよう、ここで私は人生をしっかり過ごそうと思いました」と振り返った。
もし母が理由を聞いたり、「帰ってきなさい」と言っていたら、鳥取に帰っていたかもしれないという。
「分かった、という、そのひと言に母のものすごく熱い愛情を感じました」と言い、のちに聞いた話では、母は“帰ってこないという自信”があったから、何も言わなかったのだという。「母は何でも分かるんだな」と話した。
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