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1992年に宝塚歌劇団に入団し、今年、芸能生活30周年を迎えた女優の檀れいさん。2005年に宝塚歌劇団を退団後、歌やダンスの世界からは一線を引き、ドラマや映画など映像を中心に活動してきた。31年目に入り、「大きな節目を迎えて、今、みなさんの前で歌おうという気持ちになった」と初のワンマンライブを開催する。檀さんに、30年の芸能生活、ワンマンライブについて聞いた。(取材・文/服部広子)
◇ただ舞台に立っているだけで幸せだった 劣等生だった宝塚時代
1990年に宝塚音楽学校に入学。多くの受験生が何年ものレッスンを経て狭き門をたたく中、3カ月の集中レッスンで「一か八かで受験し、“奇跡的に”合格した」と檀さん。幼少時代から将来のことを常に考え、小学校の卒業文集には「自分の才能を生かせるような職業に就きたい」と記したという。高校時代、卒業後の進路を考える時期に思い出したのは、子供の頃、ピンク・レディーの歌を歌っていた自分だった。
「すごく人見知りで、恥ずかしがり屋。人前で無邪気に歌うタイプではありませんでした。ただ当時、大人気だったピンク・レディーさんの歌を歌うときはいつもケイちゃん役でした。ディケンズの『クリスマス・キャロル』のミュージカル映画を見てワクワクするような子供だったことも思い出して、『大きくなったらお芝居をする人になりたい!』という子供の頃の夢にたどり着いたんです。進学先の選択肢はいろいろありましたが、宝塚は学校もあるし、寮もある、と。それからは死にものぐるいで歌やダンスの特訓を受けて……」
入学後は、宝塚のことをあまり知らなかったことで戸惑うことも多くあった。しかし、すぐに宝塚歌劇の世界に魅了されていった。
「早く舞台に立ちたいという思いだけは人一倍強かったと思います。でも、入学してからもずっと劣等生。ギリギリで滑り込んだ私と、小さいときからずっと宝塚を目指して学んできた人とではスタートラインから全く違いました」
そんな檀さんがなぜ、娘役のトップの座に就くことができたのか。「それは私が一番わからないんです」と言いながらこう続けた。
「真琴つばささんの相手役になったときは、運を全部使ったと思いました(笑い)。下級生の頃の私は、ただ宝塚の舞台が好きで、演じることが好きで、舞台に立っているだけで幸せだったということだけ。ラインダンスを踊っていても楽しくて、うれしくて、きっと表情が大きかったんだと思います。公演を観た母に、『もうちょっと普通に笑いなさい。顔がにぎやかよ』って言われたこともありました(笑い)」
◇「本当の拍手」を知った 中国公演で得た大きな経験
宝塚時代の思い出の歌は、中国公演でソロ歌唱した「永遠」。その圧倒的な美しさと存在感で “楊貴妃の再来”と絶賛された檀さんは、芸名を中国語読みした「タン・リー」と呼ばれ、人気を博した。
「最初は1999年に真琴さんの相手役として。2度目は私が専科時代に、香寿(こうじゅ)たつきさんがトップを務める星組の方たちと上海、北京、抗州の公演に参加しました。光栄なことに、中国の方から、タン・リーを連れて来てほしいとリクエストをいただきました。
1度目の訪中のときに言葉の壁を感じて、2度目の訪中では少しでも話せたらと中国語の勉強を始めました。すると、中国語で歌ったらと勧められて。中国で当時人気の『永遠』と、日本の『蝶々(ちょうちょう)』を中国語で歌うことになりました」
中国語といっても、地域によって言葉が違う。「通じなかったら意味がない」と徹底的に勉強した。
「本番、客席から登場した私が中国語でワンフレーズ歌うたびに、お客様が拍手と歓声を送ってくださいました。その状況にとても驚きましたし、人から拍手をもらうことの大変さと喜びというものを同時に味わいました。『これが、本当の拍手なんだ』と感じたんです。この歌は、私にとって大きな意味のあることでした」
◇スクリーンデビュー作で数々の賞を受賞 CMでも人気に
宝塚を退団した翌年に公開された映画「武士の一分」でスクリーンデビュー。木村拓哉さん演じる主人公の妻を演じ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞など数々の映画賞を受賞した。
「最初の映像の仕事が山田洋次監督の現場だったというのは、とても大きな経験になったと思います。オファーをいただいたときは、まだ事務所に所属していませんでした。頼れる人もいない中、全て一人で決めるしかない。『これは、伸(の)るか反(そ)るかどっちかだな』と腹をくくってお受けしました。映像のことは右も左もわからない私がいい評価をいただけたのは、山田監督はじめ、スタッフのみなさんが導いてくださったおかげです」
2007年には、サントリー「金麦」のテレビCMに初登場。檀さん扮(ふん)する天真らんまんな女性は、世の男性の理想の女性像として長年親しまれた。
「金麦が世の中に浸透していくのを感じました。でも、それと同時に、いつも、どこでも、“金麦の檀れい”を求められることに違和感もありました。『金麦みたいに笑ってください』と言われるたび、金麦の私と、今の私はイコールではない。でも、本当にイコールじゃないかといえば、そういうわけでもなく、よくわからないなと感じている自分がいました。
でも、10年以上続いたということは、みなさんからたくさんの支持を得たということに変わりありません。今、CMを一本一本見返しても、自分の宝物です。そして、一緒にCMを作ったスタッフとはどんなときも思い合うことができた大切な仲間であり家族のような存在です。今回のライブのメインビジュルも、金麦でずっと撮影してくださっていたカメラマンさんにお願いしたんですよ」
◇今後は歌や舞台も幅広く活動したい ライブではあの思い出の曲も
芸能生活30周年を記念したワンマンライブは、東京・丸の内のコットンクラブで11月23日、12月7日にそれぞれ2公演で全4公演行われる。客席数は200弱、料理も楽しめるライブスペースだ。
「コンサートホールのような大きな会場も考えたのですが、音楽を楽しめる大人の社交場みたいな場所でやりたいと思いました。ステージと客席との距離もとても近くて、ちょっと恥ずかしいなという思いもあるんですけど(笑い)。
この数年のコロナ禍でこれまでにない苦境も味わいましたが、自分は、やっぱりエンターテインメントの道が大好きなんだと改めて自覚しました。みなさんをエンタメの力で元気にしたいし、自ら発信していきたいと思うようになったんです」
宝塚退団後、主に映像の仕事を中心に活動してきた理由について、「自分の中で、歌やミュージカルの仕事を封印していた」と語った檀さん。
「映像の勉強をしたいという気持ちが大きかったんです。それには、これまでやってきたことは一旦封印して、映像だけをしっかり学びたかった。そして、いずれは、舞台と映像のどちらもできる人になるのが目標でした。それが今年、『題名のない音楽会』で交響楽団の演奏で歌を歌わせていただいたときに、やっぱり、私はこういうことがやりたいんだ! と思って。30年たって、今、何かみなさんにできることといったら、もう一度ステージに立って歌うことなのかもしれないと思ったんです」
公演のセットリストや構成も自ら考案。中国公演の思い出の曲「永遠」も歌う。
「宝塚の歌をはじめ、みなさんが知っていて一緒に口ずさんでいただけるような歌を入れたいと思っています。
新人時代、どんなに隅っこで踊っていても応援してくれたファンのみなさん、ダメな自分を叱って励ましてくれた上級生や先生方、そして大切な同期生に下級生、そういう方たちがいたから、檀れいという人間は少しずつ力をつけて、今があると思っています。この機会に、みなさんに感謝の気持ちを伝えたい。また、今後10年、20年もずっと見守っていてほしいという思いを込めて。
また今後は映像だけではなく、宝塚でやってきた歌や舞台でのお芝居を含めて、もっと幅広く活動していけたらと思っています」
◇プロフィル
だん・れい 1992年、宝塚歌劇団に入団。1999年から月組トップ娘役、2003年から星組トップ娘役を務める。2005年に退団。2006年、山田洋次監督の映画「武士の一分」で映画デビュー。第30回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、および新人俳優賞、第44回ゴールデンアロー賞新人賞などを受賞した。今年、「太陽とボレロ」(水谷豊監督)で映画初主演。公式インスタグラムを開設した。
*……芸能生活30周年を記念したワンマンライブ「30th Anniversary Special Live 2022 ~Ray~ 光 / 虹」の申し込みはライブハウス「コットンクラブ」(東京都千代田区)のホームページで受け付けている。