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映画「ベルファスト」でヘア&メーキャップ・デザイナーを務め取材に応じた吉原若菜さん
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映画「ベルファスト」でヘア&メーキャップ・デザイナーを務め取材に応じた吉原若菜さん

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吉原若菜さんに聞く:米国アカデミー賞候補作のヘアメーク担当は2児の母 18歳で単身渡英 夫と半年ごとの“交代制”で仕事&育児中

 今年の米アカデミー賞で作品賞など7部門にノミネートされている映画「ベルファスト」(ケネス・ブラナー監督)が、3月25日に公開される。ヘア&メーキャップを担当したのは、18歳で日本を離れ、現在、英国で暮らす吉原若菜さん。2児の母で、数々のハリウッド映画に携わる吉原さんに、これまでの歩みや、子育てと仕事、同作について聞いた。(取材・文/りんたいこ)

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 ◇絵描き志望から美容師へ

 取材は英国と日本をつなぐオンラインで行った。ヘア&メーキャップ・デザイナーとして24年以上のキャリアを持つ吉原さんは、1980年11月27日生まれ。東京都出身。携わったおもな作品は「47RONIN」(2013年)、「シンデレラ」「ハイ・ライズ」(ともに2015年)、「オリエント急行殺人事件」(2017年)、「ナイル殺人事件」(2022年)など。今秋公開予定の「スペンサー ダイアナの決意」にも参加した。

 もともと映像やヘアメークの世界に憧れていたわけではなかった。子供のころ、興味があったのは絵画。あるとき絵画の先生が吉原さんにこんなアドバイスをした。「芸術家の道1本で食べていくのはなかなか難しい。美容師をしながら芸術家を目指してもいいんじゃない」。先生もまた、かつてヘアサロンでアルバイトをしながら絵を描いていた。

 そこから美容師を目指すようになった吉原さんは、中学を卒業するとすぐに美容学校へ。「両親に無理を言って行かせてもらいました」と感謝する。美容学校を卒業すると16歳で働き始めた。当時の美容学校は1年制だったため、それが可能だった。「そこからこつこつ貯金をして、18歳になったときに英国に渡りました」

 英国を選んだのは、知人に勧められて読んだ、故デレク・ジャーマン監督の最期の著書「derek jarman’s garden」に出てくるダンジネスという町に「行ってみたいと思い、そこが英国だった」から。英国にはまた、現在の美容技術の基礎を生んだ、故ヴィダル・サスーンさんのヘアサロンがあった。吉原さんが日本で勤めていた美容室の社長が当時、サスーンさんと仕事をしたことがあり、その社長の「基本が大事」という言葉も心に響いた。

 ◇本格的にヘアメークの世界へ

 こうして単身、渡英した吉原さんは、ヘアサロンで働きながら技術を磨いた。そんななか、映画の衣装デザイナーをしている友人に、「ちょっと手伝ってくれないかと引っ張って行かれた」のが、ブラナー監督の「魔笛」(2006年)の撮影現場だった。当時は“手伝い”程度で、ブラナー監督に顔を覚えてもらうまではいかなかった。それでも、「運命ですね」と水を向けると、吉原さんは「そうですね。面白いですね。その話をケネスにしたら笑っていました」と朗らかに語る。

 その仕事をきっかけに、小さなプロダクションから声が掛かるようになり、やがてメークも頼まれるように。「当時はメークをやっている友人からメーク道具を借りていました」と吉原さんは懐かしがる。

 メークの仕事に興味が出てきた吉原さんは、ロンドン芸術大学のロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入り、特殊メークを含む、映像の世界のメーク技術を本格的に学び始めた。そして2年生のとき、ジェームズ・アイボリー監督の「最終目的地」(2009年)の撮影に参加する機会を得た。そこでの仕事がプロデューサーの目に留まり次の仕事を紹介され、「それが2作、3作とつながり、その繰り返しで今に至ります」と話す。

 これまでヘア&メーキャップで関わった映像作品は、名前がクレジットされないものも含め、大小合わせると約50作品。そのなかでヘア&メーキャップ・デザイナーとして関わったのは「ベルファスト」も含め、約15作品。ヘア&メーキャップ・デザイナーは作品におけるメーク部門の“ボス”で、監督や俳優と話し合いデザインを決め、担当者の割り振りや資金繰りといったマネジメントも担う。

 チームの人数は作品の製作規模によって変わるが、「ベルファスト」は5人。忙しいときの手伝いを含めると8人ほどで担当した。来年公開予定のマーベル・スタジオ作品「ザ・マーベルズ(原題)」でも吉原さんはヘア&メーキャップ・デザイナーを務め、同作の場合は20人から、忙しい時には60人ほどが関わったという。

 ◇2児の母 育児はパートナーと交代制

 現在、6歳と3歳の2児の母でもある吉原さんは、「子供と一緒にいられる時間を大事にできるように、仕事は年間、多くても2本しか受けないようにしている」という。吉原さんが6カ月育児休暇を取っているときに英国人のパートナーが仕事をするという、半年ごとの“交代制”だ。

 「彼にはすごく助けてもらっています。お互いキャリアを積めるし、いい形でできているのですが、調整にはすごく苦労します。休みを取ろうとすると、いい仕事が入って来るんです。タイミングが悪いと思うのですけど、それを断るのがつらいですね」と苦笑交じりに明かす。

 それでも、「仕事は充実しているので、日本に帰って住むという方向性は今のところ考えていません。でも、おばあちゃんになってリタイアしたら日本で暮らしたいですね。温泉もあるし、ごはんもおいしいので(笑い)」と考えている。

 今後の抱負を聞くと、「子供と過ごせる時間が多く取れるように撮影時間が合う仕事をやっていきたいと思っています。どういう作品をやりたいというのはありません。1本1本受け取った仕事をしっかりやっていきたいです。みなさんに夢を与えられるような仕事ができたらいいですね。

 『シンデレラ』(2015年)をやったときは、親戚や知人の 小さい子供たちに、『見たよ、すごいね』と言ってもらえてうれしかった。そういうふうに、子供たちが喜んでくれるような作品に関わっていけたらと思っています」と晴れやかな表情で語った。

 ◇1969年のベルファストそのままを映し出す

 吉原さんが参加した「ベルファスト」は、ブラナー監督の幼少期を描いた自伝的作品だ。1969年、北アイルランドのベルファストで突然起きたプロテスタントの武装集団による、カトリック住民への攻撃。暴動に巻き込まれ、故郷を離れるか否かの決断を迫られる一家の姿が、9歳の少年バディ(ジュード・ヒルさん)の視点でつづられていく。

 モノクロ映像のため、髪の毛は生え際と毛先の色の濃淡を変えたり、ひねってボリュームを出したりすることで奥行きを出すようにした。メークも、頬や鼻にシャドーを入れて立体感を出すように。ブラナー監督の“分身”ともいえる主人公のバディや、その母(カトリーナ・バルフさん)の顔につけたそばかすも、肌の質感を出すのに一役買った。

 吉原さんが目指したのは、映画の舞台となった1969年のベルファストが、「そのまま映像としてあるように、お客様に見ていただける」こと。そのため当時の写真の人々にできるだけ近づけるようにした。

 そんななかで目を引くのは、バディの祖母を演じるジュディ・デンチさんの“すっぴん”ともいえる メークだ。カメラが寄ると、皺も毛穴すらも見える。しかしそこには、これまで生きてきたなかで培われた、優しさや厳しさ、力強さが浮かび上がり、崇高なイメージすらもたらすのだ。 吉原さんによるとデンチさんは、「シミもない、とてもハリのある、きれいな肌をしている」そう。ただ、「お年をとられている方は肌に乾きが出てきてしまうので、潤いを出すために美容オイル を使って、できるだけもちもちしている質感を出していきました」と明かす。

 「ファンデーションは薄く水でつけた」程度。「ジュディは目が潤みやすいので、マスカラをつけてしまうと流れてきてしまうんです。ですからできるだけ透明感のある色を出すために、まつげは黒に、眉毛はダークブロンドに染めさせていただきました。染めると、その上に色を乗せる必要がありませんから」と、あくまでも“自然”を心掛けた。

 そのデンチさんの助演女優賞を含め同作は、第94回アカデミー賞で7部門にノミネートされている。「世界の人たちに評価していただく機会になったことは、とてもうれしく思っています」と語る吉原さん。ブラナー監督も今回のノミネートは「すごく喜んでいた」といい、「これは彼にとってもとてもパーソナルな作品です。それが世界的に評価されているのは本当にすてきなことだと思います」と喜びをかみ締めていた。

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