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第152回芥川龍之介賞を受賞した小野正嗣さん
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第152回芥川龍之介賞を受賞した小野正嗣さん

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小野正嗣さん:芥川賞受賞への“祈り”は「全く考えてなかった」 会見一問一答

 第152回芥川龍之介賞(以下、芥川賞 )に決まった小野正嗣(おの・まさつぐ)さんが15日、東京都内のホテルで行われた受賞会見に出席した。4度目の候補作となった「九年前の祈り」(「群像」9月号)で受賞を決めた小野さんは、「大変光栄です。感謝しております」と喜びを語った。会見の主なやりとりは以下の通り。

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 −−まず一言。

 大変光栄です。感謝しております。

 −−受賞作は前衛的だった今までの作風とは異なりますが、何かきっかけがありましたか。

 僕自身は前衛とは思っていない。今回の作品については、分かりやすいと思っていただいたのなら、作品が平易な文体を要請していたということだと思う。

 −−選評に「土地の力を感じる」という言葉が出たが。土地への思いは?

 大分県で生まれ育った。小さい頃からいろいろな面白い人や事件に遭遇した。そういったものが自分の中にずっと沈殿されていた。作品は無からは書けない。作品は土地というものがないと書けない。自分が作品を書くときに関心が向くのは大分県の生まれ育った街。そこに文学のよりどころがあるというのは確実にいえると思う。

 −−兄がモデルの小説で芥川賞を受賞して、何を伝えたいか?

 正確にいうと兄について書いたというより、昨年兄を失い、作品を書いていたときは生きていたがかなり重篤な病だったので、兄の死を意識して作品を書いたのは間違いない。主題ではないけれど、兄の死の影響下で作品を書いたのは間違いはないと思う。僕の中で兄にささげる気持ちで書いた。“おにい”が喜んでくれたらとてもうれしい。もういないんですが……喜んでもらえたらなと思う。

 −−どこに小野さんの舟は向かうのか?

 まあ沈没しますよね(笑い)。

 −−地元の大分県がお祭り騒ぎ。大変なことになっている。何かメッセージを。

 小説は土地に根ざしたもの。そこに生きている人間が描かれる。あらゆる場所が物語の力を秘めていて、そこをすくい取って描くことが普遍的な力を持つ。蒲江町は面白い場所。個別の世界を描いて深く掘り下げていくと普遍的なものにつながることはあると思う。実現するとは思わないけれど、僕が好きな文学はそういうもの。

 ありがとうございます、ということしかない。地域の人や集落の人に親切にしてもらっている。蒲江の人たちにいつもありがとうございますと感謝している。

 −−障害がある人物を描いた意図は?

 前作でも困難を抱えた子供と弟を描いた。僕自身の関心が困難を抱えた小さな命。僕自身も分からない。何か知らないけれど心が引かれることがあると思う。分からないからこそ書くのかもしれない。

  −−弱者に視点を?

 僕は弱者という言葉を使いたくない。僕が弱者と言うのはおこがましい。社会の不可視なものを見えるようにする、見えるようにするという意識がなくても、自然に目が向いてしまうというのが文学とか芸術なのかもしれない。脇にやられていてその存在に注意を傾けるというのが文学なのでは。それが自然な心の傾きなのかもしれない。

  −−4回目の候補での受賞。(作品のタイトルにかけて)“芥川賞への祈り”はあった?

 その解釈はめちゃくちゃ面白いですね(笑い)。全く考えてなかった。

  −−研究だけではなく、小説を書きたいという思いはどこから出てくる?

 大した研究者でも批評家でもないけれど、作品を読むことと書くことが連動している。素晴らしいものを読むと、まねしたくなる。模倣したいけれど、そういうものにはならない。本を読んだり批評することは経験。読むことは書くことにつながる。読み手として自分のことを見たら……分からないでしょ? 自分のことなんて。(質問者に向かって)自分がどんな新聞記者かとか分からないでしょ?(笑い)。

 −−作品で描かれた母子は今後どのように生きていくのか。

 とても興味深い。同種の質問をいただきました。書かれたものは完結しているけれど、書いたもの、言葉の存在はあるわけだから、それがどうなっていくのか書き手としても興味がある。自分が書くときは自分が見えている、聞こえてくるものを言葉にする作業。僕に見えたのがそこまでの作業。いろいろなものを読んだり、意見をもらって違った角度から作品が見えてくることも。作品は書いた人間のものではなく、読んだ人のものになる。読んだ人の方が書かれたものをはっきりと見えている。僕よりも接近してはっきり見えてくる人もいる。今、僕に言えるのはこのくらいです。

  −−主人公が救われたように読めるのは土地の力というよりは祈りそのもの?

 リアリティーがないと書けない。大都市に比べると地方はパーソナリティースペースが広いし生きやすいと同時に、失業とか経済的な問題に直面している人が多い。土地の力、根ざしているものが失われつつある。失われているものがなかったかのように小さなコミュニティーを美しく書くことはできない。小説は現実への応答を書くという側面がある。僕にとってリアリティーがないものは書けないのでああいう描き方になったのだと思う。

  −−「祈る」についてどう感じているか?

 仏哲学者のシモーヌ・ベイユが注意を傾けることが「祈る」に等しいと書いていたと思う。存在に心を傾けることは祈りにつながっている。言葉を発するということはそこにかけがえのないものがあるということを前提とした行為。思いを注ぐそのものが祈りだと思う。

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