「ファッションへの情熱は(昔と)全く変わらない」という野宮真貴さん。取材の日も黒レースのスケ感のあるトップスにパールのピアスを合わせてキラキラ感を演出していた
1990年代にムーブメントとなった「渋谷系アーティスト」を代表する音楽ユニット「ピチカート・ファイヴ」。その3代目ボーカリストとしても知られる野宮真貴さんが、アルバム「世界は愛を求めてる。What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~」を11日にリリースした。ピチカート・ファイヴの代表曲「東京は夜の七時」、小沢健二さんの「僕らが旅に出る理由」などの当時の渋谷系の楽曲に加え、「ナイアガラ・トライアングル」の「ドリーミング・デイ」や、「はっぴいえんど」のメンバーでもあった細野晴臣さん作曲による松田聖子さんの「ガラスの林檎」など、渋谷系に影響を与えたアーティストのカバー曲も収録し、「渋谷系オールタイムベスト」といえる構成になっている。「渋谷系スタンダード化計画」をコンセプトに掲げた今作の話や、ブームが起こった当時のエピソードなどについて野宮さんに聞いた。
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――そもそも渋谷系はどんな経緯から生まれたんでしょうか。
渋谷のHMVというCDショップが、当時の渋谷系といわれるアーティストを推してくれたんですよね。それは、ある一人の店員さんの趣味だったんですけど、店にコーナーが設けられていて、私たちがリスペクトするバート・バカラックやロジャー・ニコルズ、あと古いイタリアの映画のサントラなどが同じ場所に並べられていて。それが渋谷系という言葉の始まりだと思います。過去の名曲を掘り起こして、自分たちなりに新しい形で発信していったのが渋谷系のアーティストの特徴の一つだったから、それによって過去の隠れた名盤が再発になったり、みんながそういう音楽を聴くようになったりということもありました。
――野宮さんご自身の音楽のルーツは?
小学校高学年の頃に「ステージ101」というNHKの番組があって、それは、歌手の卵をオーディションして、受かった人たちで「ヤング101」というグループを組んで歌ったり踊ったりっていう番組なんですね。当時、はやっていたビートルズやサイモン&ガーファンクルの曲を日本語の訳詞で歌ったりしてたんですけど、「外国にもいい曲がたくさんあるんだな」と思って。それが洋楽を知った最初で、その「ヤング101」になるのが夢だったんです。でも、私が応募の年齢に達する前に番組が終わっちゃって。
ちょうどその頃に、父親が洋楽のポップスのレコードを何枚か買ってきて、それが(米国の)カーペンターズと(ブラジルのミュージシャンの)セルジオ・メンデスと(フランスのシンガー・ソングライターの)ミッシェル・ポルナレフだったのね。まだ英語も習っていなかったけれど、歌いたいという気持ちで、英語や仏語、ポルトガル語を耳でコピーしてカタカナで書いて歌ってたりして。それがまさに、今回、渋谷系のルーツとして選曲している音楽だったので、実は自分のルーツと渋谷系のルーツは同じだったんだなって気づきました。
――今作を制作する中で特に印象深かった楽曲はありますか。
タイトル曲でバート・バカラックの「WHAT THE WORLD NEEDS NOW IS LOVE」は、スウィング・アウト・シスターのコリーン(・ドリュリー)と一緒に歌ってるんですけど、昨年、彼女たちが来日してライブをした時に楽屋を訪ねたんです。ピチカートとスウィング・アウト・シスターは海外でも比べられることが多く、コリーンとは同い年で共通点もいろいろあったりして、意気投合して、「いつか何かできたらいいね」みたいな感じだったんですけど、それが今回一つかなったことはうれしかったです。
あと、トワ・エ・モアの「或る日突然」は、子供の頃に聴いていたし、私は北海道出身なので、札幌冬季五輪のテーマソング(で同じくトワ・エ・モアの)「虹と雪のバラード」も大好きで。もともと「或る日突然」はデュエットの曲で、今回、スタジオ録音をするという時に、せっかくなら作曲者ご本人の村井邦彦さんとできたらなと思ってオファーしたら、興味を持ってくださったんです。
――「ガラスの林檎」の原曲を歌っている松田聖子さんに対しては、誕生日や世代が近いこと、新宿2丁目(ゲイ)の方に人気という意味でもシンパシーを感じるそうですね。
松田聖子さんは昔から好きで、カラオケではよく歌っていて。私は(新宿2丁目で)行くお店は一軒しかないんですけど、昔から(ゲイの方と)仲良しです。ピチカートの時はだいたい3種類のファンがいて、女性でクラブに行くようなオシャレな人たち、ゲイの人、音楽マニアっていう。当時「東洋のバービードール」って新聞に書かれたぐらいだから、衣装もビジュアルもすごく凝ってたし、そういう面でもゲイの方が好きだったんだと思うんだけど、それだけじゃなくて、ゲイの方たちって面白いものや新しいものを見つけるのが早いんですね。感性が鋭いというか。だから「日本に面白いバンドがいるんだけど」みたいなことで、そういう人たちにすごく支持されていますね。
――渋谷系の音楽は都会的なイメージがありましたが、当時の野宮さんのライフスタイルはどんなものだったんですか。
東京タワーが見える部屋には住んでなくて(笑い)、個人的には結婚したり、出産もあったので、本当に仕事と家とを行ったり来たりで。あと海外ツアーとかもあったから、1回行くと1カ月半ぐらい帰れないんですね。だから、子供が小さい頃は、再会すると結構、成長しててビックリ、みたいな(笑い)。今はもう子供も19歳で手がかからないし、マイペースでできる感じですね。
――ところで、渋谷系と呼ばれていたことについて、当時はどのように感じていましたか。
特にそんなに意識はしてなかったです。(ピチカート・ファイヴの)メンバー間でも「何かそういうふうにいわれてるらしいね」みたいな感じでした(笑い)。
――改めて、今作にも収録されている「東京は夜の七時」をはじめ、渋谷系とはどんな音楽だったと思いますか。
「東京は夜の七時」は、これから楽しいことが始まるっていう歌ですけど、今回、自分が選んだ曲も、明るい曲や恋の歌が多くて、聴いていて明るい気持ちになれるし、渋谷系ってそういったポジティブでキラキラしたものがすごくあったと思うんですね。だから、このアルバムも、皆さんにとって日常の生活を彩るような1枚になったらいいなと思っています。
アルバム「世界は愛を求めてる。What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~」は全13曲収録で11日にリリース。初回生産限定盤が3996円、通常盤が3240円。
<プロフィル>
1960年3月12日生まれ、北海道出身。81年にアルバム「ピンクの心」でデビュー。90年、小西康陽さんと高浪慶太郎さんが在籍していたピチカート・ファイヴに3代目ボーカリストとして加入。01年のピチカート・ファイヴ解散後はソロ活動を開始した。野宮さんが初めてハマッたポップカルチャーはバービー人形。「リカちゃん人形が生まれる(67年より)前で、小学生くらいの時に初めて買ってもらった着せ替え人形がバービー人形でした。オシャレなファッションドールで、それはもうとっても好きで。(自分が後に東洋のバービードールと呼ばれるようになったという意味で)バービーには縁があったのかな(笑い)」と話した。
(インタビュー・文・撮影/水白京)
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