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フジ渡邊渚アナ:叔母の影響でアナウンサーが「憧れの職業」に 「もしもツアーズ」の真っ赤な制服に感動

 昨年、国内で新型コロナウイルスが感染拡大する中、入社したフジテレビ渡邊渚アナウンサー。2年目となる現在はバラエティー番組「もしもツアーズ」(土曜午後6時半)や、情報番組「めざましテレビ」(月~金曜午前5時25分~8時)に情報キャスター(月曜)とエンタメキャスター(金曜)として出演している。叔母が地方局のアナウンサーだった影響で、この仕事に興味を持ったという渡邊アナに、入社試験のエピソードやアナウンサーの仕事の楽しさと苦労、2年目の意気込みなどを聞いた。

 ◇入社試験は「楽しくて緊張よりもワクワクが勝った」

 渡邊アナは、1997年4月13日生まれ、新潟県出身。慶応義塾大学経済学部を卒業後、2020年に入社した。

 アナウンサーを目指したのは生まれ育った新潟でアナウンサーをしていた叔母の影響が大きかったという。「7歳まで新潟に住んでいて、叔母がテレビでリポートしたりする姿を見ていました。幼い頃から何となく憧れの職業でした」と明かす。

 「叔母が自分で企画を立てて、南アフリカにインタビューしに行って、映像も自分で編集して……と、すべての制作過程に携わっている姿を見て、アナウンサーってニュースを読むだけではないのだなと感じていました。幅広くいろんなお仕事ができて、しかも自分の伝えたいことを世に発信できるということに魅力を感じました」と憧れを抱いた。

 さらに「大きなきっかけになったのは、学生時代にタレント活動をしていた時、アナウンサーの方が、番組を制作の方と一緒に作り上げる姿を間近で見て、感銘を受けたことです」と語る。

 「アナウンサーが番組の制作の方と一緒に、どうしたら面白くなるかと考えながら、番組を進行し、出演者のいろんな魅力を引き出していく様子を見て、すごいなと純粋に感銘を受けて、自分もやってみたいなと思いました」と夢の実現に向けて動き出した。

 「一番冒険していそうなイメージだった」というフジテレビの入社試験は、「とにかく楽しくて、緊張よりもワクワクが勝っていました」と就職活動を振り返る。

 結果、アナウンサーになるという夢がかなった。渡邊アナは「内定の電話を、(フジテレビがある)お台場の海を眺めながら待ってました。その日はとても夕日がきれいで、その時の写真は今でも携帯の待ち受けにしています!」と感慨深げに語る。

 アナウンサーを目指すきっかけとなった叔母にも、「連絡しました。びっくりするのと同時に『うれしい』と言ってくれました。今も私が出演する番組を見て、よく連絡をくれるので、それも自分のやる気、モチベーションにつながっています」と語る。

 ◇入社2年目 コロナ禍で「テレビの意義を深く考えた」

 同局の2年目のアナウンサーは渡邊アナと佐久間みなみアナウンサー、徳田総一朗アナウンサーの3人。渡邊アナは「他の2人は、報道番組ができそうな、しっかり者の真面目タイプで、私は盛り上げ役的な存在。バランスで採用されたのかなと思っています(笑い)」と自己分析する。

 コロナ禍の真っただ中の入社で、昨年は入社式も行われなかった。「入社してから2カ月くらい出社できず、例年よりもアナウンサーとしてのスタートが遅くなってしまいました。先輩たちが例年出ていた番組にも出られないし……。本来だったら経験できることができず、不安で仕方なかったです」と本音を吐露する。

 ただし、そんな中でも仕事に役立つことがあった。「研修もリモートで、自宅で受けていましたので、テレビをしっかり見る時間がありました。コロナ禍で、テレビから情報を受け取ることが多くなっていたと思います。テレビの意義や伝えるべきこと、自分だったらどう伝えるのかな、と深く考えることができました」と実感を込める。

 今年4月には1年越しで入社式が行われた。「例年のような規模ではなく、30分くらいの短い式ではありましたが、節目を迎えられた感じがしました。昨年は大学の卒業式も中止、入社式もなかったので、こういった式をしていただいて、スイッチがもう一度入るという感覚で、気持ちを新たに頑張ろうと思いました」と語る。2年目に入り、「後輩も入ってきましたので、これからは安心して見ていただけるようなアナウンサーになりたいですね」と決意を新たにしている。

 ◇初ロケは「遠足に行くような高揚感も」 今後の野望は?

 アナウンサーは「毎日新しいことに出合い、学んでいく刺激的な仕事」と表現する渡邊アナ。「今、仕事をしている時が一番楽しい」といい、「逆にお休みの日は仕事をしたくてうずうずしてしまい、早く(出勤する)明日にならないかなと思っています。毎日が新鮮で、学びが多く、ワクワク、ドキドキの日々を過ごしています」と目を輝かせる。

 現在、担当している「もしもツアーズ」では、「昨年8月に初めてのロケで(神奈川県)横須賀市に行ったのですが、朝の(出社時間の)早さに驚きました。朝3時に会社に来て、ワクワクした記憶があります。仕事だけど遠足に行くような高揚感もあり、緊張するかなと思ったのですが、“もしツアファミリー”の皆さんが温かく受け入れてくださって。ロケバスに乗っている時から、いろいろお話ししてくださり、到着するまでの1、2時間があっという間でした。カメラが回る頃には、皆さんが緊張をほぐしてくださっていたので、伸び伸び楽しめました」と笑顔で語る。

 同番組では、ガイド役として真っ赤なコスチュームを着て出演している。「よくテレビで見ていたあのガイド服を初めて着た時は感動しました。今、私が着ているのは、初代の坂下(千里子)さんのものに近いモデルだそうで、そんな初代モデルに近いものを着られるなんて、(番組の)19年の歴史を継いだのだなと、責任も感じました」と話す。

 そのコスチュームは「自分の体のサイズに合わせて作っていただいているので、『太り過ぎて制服が入らないなんてことが起きないように体形を維持しなければ』と着るたびに思います」と気を引き締めている。

 ロケ現場では、アナウンサーとして「スタッフがどのような演出をしたいのかを理解して番組を回せるようにしたい」と周囲の期待に応えようと試行錯誤しているという。視聴者に向けて、「今は時節柄、あまりお出かけができないと思いますけれど、少しでもお出かけ気分を味わっていただき、おうちにいても楽しめる方法を皆さんにご提案できたらいいなと思っています」とメッセージを送る。

 今後については「野望はいっぱいあります」と明かす。「ずっと空を飛びたかったんですよ。バンジージャンプでもいいですし、スカイダイビングもしたいです。でも今、一番やりたいのはパラグライダー。車は免許も持ってないですし、自転車はすぐに転ぶので得意じゃないけれど、風を切る乗り物に触れたくて。高いところも結構好きなタイプなので、上からの景色を見ながら、風を切って走りたい(飛びたい)という野望があります」と語っていた。

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