取材に応じた羽田美智子さん
第一線で活躍する著名人の「30歳のころ」から、生きるヒントを探します。今回は羽田美智子さん。当時の思い出や、30歳をより輝かせるためのアドバイス、店主を務めるオンラインのセレクトショップ「羽田甚(はだじん)商店」などについて聞きました。(全3回の1回目、編集・取材・文/NAOMI YUMIYAMA)
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◇不安の中にいた30歳のころ
話題のドラマや映画に出演し、「羽田甚商店」では店主を務める羽田さん。短大在学中の20歳で女優デビューし、24歳のときに主演した映画「RAMPO」で数々の映画賞に輝いた。だが20代後半に入ると、将来の方向性に迷い始めたという。
「あの頃、世間では女性の結婚適齢期は『20代のうち』という風潮があったんです。周りの女性も望んでいましたし、29歳の女性と結婚した私の兄が、『奥さんに20代でウエディングドレスを着せてあげられて良かった』と言っていたのを覚えています。
ただ私はというと、まったくその気がなくて。じゃあ仕事は?となったとき、キャリアで生きると言い切れるほどの実力もない。女優の仕事をいただけるのも、若いからだと感じていていたんです。仕事も浮かばれないし、プライベートも浮かばれない。30歳のころは、不安の中にいました」
そんなモヤモヤした気分を払拭しようと、羽田さんは外の世界に目を向け始めた。
「芸能界以外の友達といっぱい出会いました。30代に入ると、仕事でもプライベートでも、京都に通うようになったんです。よく海外の友人たちと一緒に、まだあまり人がいないころの京都で神社仏閣に行きました。日本文化を一生懸命愛する彼らの話を聞きながら、彼らがここまでひかれる京都の魅力ってなんなんだろうと興味をもったんです」
その後、京都を旅するテレビ番組などに出演し、多くの職人たちに取材した羽田さんは、「本質的なものの見方」を学んだという。
「最初は枯れ山水とか、何にも知らなかったんです(笑い)。でも京都の歴史や風格を知るうちに、人は普遍的なものに価値を見いだすんだなと気づきました。そして、自分は何を小さいことに悩んでいたんだろうと思ったんです。だったら私も京都のような存在になって、自分の中に文化や英知をため込んで、40代、50代、60代になったときに、誰にも負けないような輝きを発する人になりたいと思いました」
◇いつしか「へき地OK女優」に? 好奇心に従って生きる
京都と“出会った”ことで、「自分の知的好奇心を刺激する仕事は断らない」というルールを決めた羽田さん。特に旅の仕事は何でも引き受けて、気がつけば予想外の展開に。
「制作会社と打ち合わせ中、私のプロフィルの備考欄が見えたんですよ。『へき地OK女優』と書いてあって驚きました!(笑い) テレビでは内戦の翌年のウガンダやコンゴにも行きましたね。空港で『いい車を用意したよ』と言われて見たら、窓ガラスに銃弾が撃ち込まれているのを見て、内戦直後の空気を肌で感じました。予防注射を5、6本打って、ラピスラズリが溶け出した湖に入ったのも、生涯忘れられない体験です」
好奇心を追求し、世界を広げていった羽田さんは、2019年に地元・茨城にあった実家の店の屋号「羽田甚」を継ぎ、オンラインのセレクトショップをオープンした。
「それまでの私は都会がすべてで、田舎を否定していました。でも京都に通うことで、実家での風習や文化がいかに自分を形作っていたかに気づいたんです」
現在は53歳になり、充実した豊かな人生を歩みながら、快適なソロ生活を送っている。
「朝、昼、晩、自分のやりたいことができるのがソロ生活のメリットです(笑い)。ただ、こんなライフスタイルの先輩がまだあまりいないので、何かあるならこれからかもしれません。どのみち一人でもパートナーがいても子供がいても、不安はつきまとうものですよ。周りの環境に振り回されず、自分がご機嫌でいる方法を選ぶことが大切だと感じます。こんなふうに思えるのも、“中身”を詰め込もうと奮闘した30代があったからです」
<プロフィル>
はだ・みちこ 1968年生まれ。茨城県出身。1994年の映画「RAMPO」でヒロイン役に抜てきされ、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞。以降、テレビドラマ「特捜9」シリーズ、「おかしな刑事」シリーズなど、多数の映画やテレビドラマに出演。2019年、自身が「本当にいい」と思ったものだけを販売するネット上のセレクトショップ「羽田甚商店」をオープン。出演する連続ドラマ「パパとムスメの7日間」(TBS)が毎週火曜深夜に放送中。
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