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舞台演劇でキャリアをスタートし、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「まれ」でのシタール奏者、連続ドラマ「silent」での川口春奈さんの同僚役など、主人公を取り巻く印象的な役を演じている内田慈(ちか)さん。演劇を始めたきっかけや、風呂なしアパートに住んでいた駆け出しの頃のエピソードを聞いた。(前後編の前編)
◇運命的な出会いで演劇の道へ
内田さんは、1983年生まれ、神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科中退後、演劇活動を開始。2008年に「ぐるりのこと。」(橋口亮輔監督)でスクリーンデビュー後、舞台、映画、ドラマ、声優など、ジャンルを問わず活躍の場を広げ、現在公開中の映画「お母さんが一緒」(橋口亮輔監督)でも3姉妹の次女役で出演している。
内田さんが演技の道を目指したのは高校3年生の夏だった。父が塾講師をしている影響で、「とりあえず大学に行くだろう」と思いつつ、特にやりたいこともなく、何学部に進めばいいかも分からないような悩める時期に運命といえる出会いがあった。
「テレビ番組に松尾スズキさんが出演していて、『キレイ~神様と待ち合わせした女~』という舞台の奥菜恵さんが主演をされた初演の映像が流れていました。それがとてもヘンテコで。私が想像していた舞台は、美しくて、現実とかけ離れたものでしたが、この舞台はすごく泥臭いし、毒があって、妙に真実味がありました。架空ではなく自分のいる世界を掘り下げた作品のような気がして、すごく刺さりました」
その番組で松尾さんは好きな言葉を聞かれて「平等です。だってあり得ないじゃないですか」と答えていたという。その回答も内田さんに響いた。
「対等ならあると思えるのですが、学校などで当たり前に『平等にしなさい』と教わることに違和感があって。それほどに平等って難しい。だからこそ、それをちゃんと考えていきたいと受け止め、『この人に会いたい。演劇の世界にいるのか。じゃあやってみよう』と思ったんです」
◇フリーで活動スタート お金がなくても工夫してしのいだ貧乏時代
大学を中退した内田さんは、劇団や芸能事務所に所属せず、個人で俳優としての活動を始めた。
「演劇のおもしろさはたくさんあり、表現方法もさまざま。一つに絞るのはもったいないと思ったんです。劇団に入るとスケジュールが縛られて、外部での受けたいオーディションを受けられないことがあると聞いたこともありました。だから自分の好きなようにやるためにフリーを選びました」
業界への知識がなかったことが逆に大胆な決断をしたように思えるが、「確かにその通り。今の知識があってその時代に戻れたとしたら、同じ選択をしているかは分からないですね」と笑う。
「でも、ある意味、意図的な部分もあって、そういうやり方をしている人が当時あまりいなかったので、おもしろいんじゃないかと思って。実際にそういう活動の仕方がおもしろいねって採用されることもありました」
当時住んでいたのは、東京・阿佐ヶ谷で家賃2万5000円の風呂なしアパート。お金がない暮らしも「いつか芸の肥やしになるかもしれないと思っていた」という。
「当時、銭湯の料金は400円ぐらい。欲しい本とかマンガがあると、それもだいたい400円で、本を買うために銭湯を我慢して、蛇口も回らず、お湯も出ない家の狭い流しで、頭を突っ込んで髪を洗うこともありました。でも、頑張っている自分に酔って楽しんでいたところもあって、いつかインタビューで話そうと思っていました(笑い)」
ほかにも、100円を入れるとお湯が出るコインシャワーの上手な使い方、肉がなくても肉を食べた気分になれる料理など、貧乏時代は工夫してしのいだ。
「舞台の稽古(けいこ)って時間の拘束がけっこうあり、多いときは年間8作品に出演していたので、体がしんどくなってきました。24、25歳で長く続けていたバイトも休むことに決めた頃、映画など映像作品に出始めて、気づいたらバイトをしなくても生活していけるようになりました。芝居のことだけ考えて生きているようになったのはすごくうれしかったですけど、バイトで得られたネタや人間関係で学べたことは生かせていると思います」
◇雄弁な手話にひかれ勉強中 「壁をなくしていける表現に関わりたい」
今、手話を勉強中だという。今年1月にNHKで放送された、ろう者と聴者が一緒にシェークスピアの「夏の夜の夢」を演じる手話劇に出演し、昨年から取り組んでいた。
「手話ってすごく雄弁で、人によって表現が違って美しいしおもしろいんです。手話を主言語とする方たちと接していて、どんどんひかれていったし、自分の言葉で表現したいと思うようになりました。手話は顔の表情や手の高さ、口の開き方、その全てが感情表現になる。
「願わくば聴者向けとかろう者向けとかではなくて、一緒に楽しめる企画をもっとやっていきたい」と夢を語る。
「『シネマ・チュプキ・タバタ』(東京都北区)という映画館があって、そこは聞こえない、見えない、小さな子供がいるなど、映画館に行きづらい方々に門戸が開かれている場所。その考え方がすてき。そういう壁のようなものをなくしていける表現に率先して関わっていきたい。それが目指したい“平等”につながっているかも?と思っています」