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第一線で活躍する著名人の「30歳のころ」から、生きるヒントを探します。第6回は歌手の藤あや子さん。当時の思い出や、アラサー時代をより輝かせるためのアドバイス、初めての写真集「FUJI AYAKO」などについて聞きました。(全3回の1回目、編集・取材・文/NAOMI YUMIYAMA)
◇28歳は、崖っぷちだった 上京で人生が一変
還暦を迎えた藤さんは1961年、秋田県角館町(現在の仙北市)で生まれた。20代前半は地元で民謡歌手をしながら、シングルマザーとして暮らしていた。
「将来は地元の秋田で民謡の教室を開き、普通のおばさんになると思っていました。子どもがいるのに、上京して歌手デビューするという未来予想図はなかったんです。でも、作曲家の猪俣公章先生や、松田聖子さんのプロデューサーだったCBSソニーの若松宗雄さんが説得してくださって、だんだん気持ちが変わっていきました」と振り返る。
そんな藤さんが人生の決断をした決め手は、父の一言だった。
「中央の舞台でやってくれと。そこで気持ちが決まった。26歳で東京に出てきたのは、私の人生の転機です」と話す。
1987年、「村勢真奈美」の芸名で「ふたり川」でデビューするが脚光を浴びず、2年後に芸名を「藤あや子」に改名した。
「28歳のころは崖っぷちでした。絶対に田舎には戻れないと自分を追い詰めていましたし、そのために自分が何をしなきゃいけないかをいつも考えていた。田舎に住んでいた人間ですから、都会ではスピード感も全く違う。目の前の仕事をこなすことがやっとで、地方でのキャンペーンでは、朝、目が覚めた瞬間、『ここどこだっけ?』ということも多かった」
◇31歳で紅白歌合戦に出場 父と娘の存在が支えに
上京してから5年後、藤さんは「こころ酒」が大ヒットし、念願の紅白歌合戦出場を果たした。ただ、夢はかなえても、忙しさは変わらなかったという。
「31歳で目標をかなえたら、さらに次の壁を乗り越える。その繰り返し。紅白の次はファーストリサイタル、コンサートツアーと、障害物レースのようでした。体力的にそれを継続するのは大変で、何度か地方公演で倒れて点滴をしながらやっていました」
私生活は多忙でも、テレビや舞台では艶やかな美しさも評判に。その裏では、プロとしての美意識による努力が重ねられた。
「今考えると超人なのかというほど働いていましたが、テレビは残酷なほど全部が映されますので、出演した番組は全部録画して、自分研究をしました。艶っぽくなる秘密は、着物を着て、自分をその気にさせることかなと思います。内面はおっさんですから(笑い)」
ハードな毎日を支えたのは、一緒に上京した父と娘の存在だった。
「私が歌手として成功してほしいと一番願ったのが父で、自分は孫の面倒をみるからと。父の支えがなかったら絶対無理だったと思います。そして地方にいても、家に帰れば子供がいるというのも支えでした」
今年、芸能生活35周年。さまざまな壁を乗り越えた今、「30代は人生のキーポイント」だったと振り返る。
「今思うと、30代は人生で一番忙しかった時期でした。子育てと仕事の両立で、自分だけの時間はなかったですし。ただ、体力がまだまだあった時期だったからできた。30代でいかに頑張ったかで人生が決まり、それが40代、50代につながっている気がします。今、余裕をもって生きられるのは、あの時代があったからです」
<プロフィル>
ふじ・あやこ 演歌歌手。1961年生まれ、秋田県出身。1985年にNHK「勝ち抜き歌謡天国」で優勝し、1989年にシングル「おんな」で再デビュー。代表作はシングル「こころ酒」「むらさき雨情」など。
*……写真集「FUJI AYAKO」▽講談社▽4月15日発売。4950円
*……次回は4月15日掲載予定